何をしても汗が噴き出してきて困る日々ですね。女子社員も多いので汗の臭いは気を付けるようにしてますがどうも気になってしまいます。40歳はオジサン臭いと言われてしまう事もよく聞くのでビクビクしながら出勤しております。今日も引字圭祐の晴天日記をご覧いただきありがとうございます。
社長とお得意様との接待ゴルフが終わり、一人で帰宅をしていると路上に横たわる何かを見つけた。結構大きめの犬でどうやら車に引かれてしまったらしい。息はまだあるが表情は痛々しい感じがした。私は急いでその犬を抱え動物病院へ向かった。とりあえず手術は終わったらしいのですが「危険な状態」と獣医の先生が告げる。毛並みがキレイで蚤もいない、だけど首輪はしておらず先生は「恐らく捨てられたんだろうな・・・」と話す。
獣医さんは更に続けて「あの犬は、さらにガンにかかってるみたいだ」私は「えっ!?」と獣医さんに驚きながら聞き直す「元々、もう治る見込みがないから、最後は家族に見えない場所に捨てられた可能性が高い」私はジッと犬を見つめながら「そんな事、あるんですか?」先生に質問すると「稀にね。普通なら保健所だと思うが中には田舎までやってきて、良かれと思って山等に捨てる人もいるからね」私は「勝手過ぎますね」と罪の無い先生にぶつけるように言ってしまった。
恐らく、山奥で捨てられて僅かに残った飼い主の匂いを辿り、持病に苦しみながらようやく道路に出て引かれてしまったんだと思う。私は「そんなのはあんまりだ」と言うフレーズが頭に沢山溢れだす。例えどんな病気でも最愛の家族を思いやるなら最後まで見届けるのが当たり前じゃないのか?いきなり捨てられて「あとは自由に生きてくれ」って人間の一方的な勝手じゃないか?死を見たくないから蓋をするのもおかしいじゃないか!と怒りが込み上げる。
先生は「とりあえず、この子の身元を探すけど見つからないだろうな」私は何も言えなかった。助かっても直ぐに失う命を養ったとして、直ぐにやってくる死は子供達がどう感じるのかが辛かった。私は病院を出る前に先生に一応連絡先を伝えておいた。
翌日、動物病院の先生から連絡があった。「今朝、ご臨終です」
子供達を預けて妻と共に病院に向かう。死んでしまったがもしかしたら成仏が出来ずに飼い主を捜し回り辛い思いをしながら彷徨い続けてるのかもしれないと思い私は妻と二人だけでこの犬の葬儀をして上げた。妻も私がした事は正しいと言ってくれた。誰だって人生の最後は誰も知らない場所で自由で死にたいだなんて思いはしないはずです。愛する者達に囲まれて死にたいと思う筈です。だからこの犬も苦しみながら家族を探していたに違いない。その願いは叶う事無く果ててしまった、あの犬の痛々しい表情がまだ忘れる事無く浮かんできます。
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